今日のブログは超長いです。(笑)
先日、「伊勢みやげ研究会」の報告書「伊勢みやげ考」の打ち上げ会に参加。
昨年の初夏から書き始めた研究会の報告書。

伊勢みやげを研究しみやげのルーツに始まり、どう商品開発を行うか。
伝統を伝えつつ、ニーズに合ったものを作り、会社・地域の底力をつける。
我社は途中参加であった。
南川に連れられ、参加した私であったが、途中から何故か私が興味を持ちだした。
人であろうか?伊勢であろうか?
それらに加え、文化的な香りがする。弊社にはないもの、そんな感じだった。
商業高校卒業で、とにかく就職した私にはこれといった特技もなく、
実生活に必要なものだけを勉強したような気がする。
料理教室、茶道、華道、書道、着付け、どれも「嫁」のたしなみばかり。
22歳の誕生日に結婚、24歳に長女出産、長男、次女を授かり、主人の両親、義弟と8人家族でフル回転の日々。
子育てひと段落でアルバイトを始め、アパレル、事務をフルタイムで約6年。
ミナミ産業に入って8年目の昨年。
この報告書を書き始めて、「論文のようなものは書いたことがない・・・」
それでも、三重県支援センターサポーターの千種女史は、
「大丈夫、山川さんの言葉で書けばいいのよ。」
「うん、いい感じ、わかりやすいし伸び伸びしてる。」と励ましてくれた。
ライターである千種清美氏は「永遠の聖地 伊勢」の著者。>>
千種清美氏ブログ
千種氏については、別の項でお話ししたい。
入会して、2年目か3年目にようやく顧問の民俗学学者 神埼宣武先生にお会いした。
お人柄、存在感に圧倒された。
ソフトで、気さくで、静かな口調と「粋」な雰囲気。NHKでも数多く出演、監修されている。
図書館で、さっそく先生の著書を調べ、3~4冊借りてみた。が、途中断念(笑)
先生の著書>>
神埼 宣武先生 著書
さて、本題に戻ろう。
神埼先生が、ひとりずつに「出来上がって周りの反応はどうですか?」と聞く。
各々が報告する。皆、家業、家の歴史が明確になって親類も喜んでいる。
先生は、一人ひとりに「よかったね」と仰り、歴史背景と次のアドバイスをお話になる。
5名の話を聞きアドバイスを仰る。
だが、何故か私の番が来ない。何故か嫌な予感。
とうとう、最後に「山川さんは?」と静かに目を見られる。
「どうして最後なんですか?」と聞くと、
「ほかの皆さんは、オーナーであり発刊にあたっての寄稿に決定権がある。
でも、山川さんの場合は社員であり、わざわざ伊勢まで通うことも、内容を精査するにも努力がないとできないので、心配していたんです。
あなただけ目立ってほかの社員さんに何か困るようなこと言われませんでしたか?
よく頑張りましたね。」
あ・・・先生、やばいですよ。ちょっと、感無量な感じ。
「先生、社長にもほめられましたし、事務所の皆は会社の歴史がわかってよかったとも言ってくれます。
なにより、自分の仕事を見直せたこと、会社案内には書かれていない会社の説明に使えて、新規のお客様に渡しています。父の仏前にも報告しました。
あっ、泣きそうになってしまう。
同時に、ブログやSNSを始めたことで、外に発信することが多くなり、この報告書が非常に役に立ちました。
文章の書き方を先生にご指導いただいたので、まじめな文章も、少し面白い文章も私なりに書けるようになり、良いと褒められもします。
また、セミナー講師のようなオファーも来るようになって、この一年の成長はスゴイです。
ありがとうございました。」
先生は「そうですか、そうですか。よかったですね。」
そうなんです、5月にセミナー講師のオファーをいただいた翌日に、何もご存じない先生が、
「山川さん、今気づいたんだけど、あなたは話すとき、恥ずかしがっている。
発声練習しなさい。この中では、あなたが人前で話す機会が増えますよ。」とも。
もちろん、私を勇気づける、少しオーバーな表現だとは思ってもいます。
が、なんてナイスタイミング!
「アナウンサーの苦手な発音は、パ行とラ行。
まっすぐ前を見ておなかの底から、
「パラ・ピリ・プル・ペレ・ポロ」を一日10回くらい練習しなさい。」
それから、約1ヶ月、打ち上げの日。
何をおいても参加しなきゃ。
台湾展示会や商談、海外からのお客様、の日々。
1時間遅れで参加できました。
先生は、早朝からの文化ツアー講師をされ、バスで方々に、雨の中ハードスケジュールで、少し遅れて駆けつけてくださった。
温和な表情でまた、励ましてくださる。
後で、考えてみると、先生には何名の生徒さんがいたのだろう?また、現在も何人の生徒さんがいるのだろう。
山川という名前を覚えていただいていることすら、信じられないことだ。
とても光栄であり、これからもご教示いただけるよう、精一杯勉強したい。
そのあとは、来年のNHK大河ドラマ「平清盛」の話題。
大河ドラマが「観光」にいかに影響するかを、現在の伊勢商人たちが口ぐちに話している(笑)
父忠盛の生誕の地が津市という話になり、「素甕(すがめ)」(釉薬をぬっていない甕(器))が掘り出されてお米が入っていたであろう、という発言に対し、先生が
「いや、それは違いますよ。お米を食べる文化は江戸時代に始まっています。その時代にはお米を保存しているのは矛盾します。」と仰る。
そこに至るまでも、歴史上の人物の話や、土地柄の話など飛び交う飛び交う。
私は「???????」で、どうして皆詳しいのか?
ちなみに、
平忠盛
あ~、歴史は苦手な科目ではあったが、それにしても皆さんすごすぎる。
勉強しなくちゃ。と焦ってしまう。
民俗学に食はつきものとしても、先生は造詣が深い。ワインやお酒のセンスも勉強になる。
たぶん、食べることや飲むこともお好きなんであろう。
萬来鍋も気に入ってくださっている。
食品を手掛ける弊社としては、勉強ができる良きチャンスを与えてもらい感謝している。
「食材や調味料はその土地の文化や伝統をも尊重する」の一文を先生は私に与えてくださった。
なんて的確で奥深い言葉なんだろう。
私は「海外へのプレゼンで、この豆乳で何が作れるのか、シェフの想像力を期待しています。と締めくくる。」
と書いた。その後ろにこの一文をつけてくださった。
豆腐ではなく、「豆腐にもなる豆乳」これは萬来豆乳の一番の特徴であり、伝えたいところである。
開発商品にストーリーをつける。現在の形になるにいたった歴史を添える。
意味が付いてくる。商品に愛着が生まれる。こだわりとは違った、愛しさが芽生える。
一生懸命売りたい気持ちが増えてくる。
そうか、人類はこうやって、人生を重ね、歴史を作って来たのだ。
萬来鍋、萬来豆乳も、何十年か先に「古くからの商品なんだね」といわれる日が来ることを祈る。
そして、先生はふと、ものすご~いヒントを下さる。
もうひとつ、前回お会いしたときに、大きなヒントを下さった。
これは、今のところシークレットなプロジェクト。乞うご期待♪
先日、「伊勢みやげ研究会」の報告書「伊勢みやげ考」の打ち上げ会に参加。
昨年の初夏から書き始めた研究会の報告書。

伊勢みやげを研究しみやげのルーツに始まり、どう商品開発を行うか。
伝統を伝えつつ、ニーズに合ったものを作り、会社・地域の底力をつける。
我社は途中参加であった。
南川に連れられ、参加した私であったが、途中から何故か私が興味を持ちだした。
人であろうか?伊勢であろうか?
それらに加え、文化的な香りがする。弊社にはないもの、そんな感じだった。
商業高校卒業で、とにかく就職した私にはこれといった特技もなく、
実生活に必要なものだけを勉強したような気がする。
料理教室、茶道、華道、書道、着付け、どれも「嫁」のたしなみばかり。
22歳の誕生日に結婚、24歳に長女出産、長男、次女を授かり、主人の両親、義弟と8人家族でフル回転の日々。
子育てひと段落でアルバイトを始め、アパレル、事務をフルタイムで約6年。
ミナミ産業に入って8年目の昨年。
この報告書を書き始めて、「論文のようなものは書いたことがない・・・」
それでも、三重県支援センターサポーターの千種女史は、
「大丈夫、山川さんの言葉で書けばいいのよ。」
「うん、いい感じ、わかりやすいし伸び伸びしてる。」と励ましてくれた。
ライターである千種清美氏は「永遠の聖地 伊勢」の著者。>>
千種清美氏ブログ
千種氏については、別の項でお話ししたい。
入会して、2年目か3年目にようやく顧問の民俗学学者 神埼宣武先生にお会いした。
お人柄、存在感に圧倒された。
ソフトで、気さくで、静かな口調と「粋」な雰囲気。NHKでも数多く出演、監修されている。
図書館で、さっそく先生の著書を調べ、3~4冊借りてみた。が、途中断念(笑)
先生の著書>>
神埼 宣武先生 著書
さて、本題に戻ろう。
神埼先生が、ひとりずつに「出来上がって周りの反応はどうですか?」と聞く。
各々が報告する。皆、家業、家の歴史が明確になって親類も喜んでいる。
先生は、一人ひとりに「よかったね」と仰り、歴史背景と次のアドバイスをお話になる。
5名の話を聞きアドバイスを仰る。
だが、何故か私の番が来ない。何故か嫌な予感。
とうとう、最後に「山川さんは?」と静かに目を見られる。
「どうして最後なんですか?」と聞くと、
「ほかの皆さんは、オーナーであり発刊にあたっての寄稿に決定権がある。
でも、山川さんの場合は社員であり、わざわざ伊勢まで通うことも、内容を精査するにも努力がないとできないので、心配していたんです。
あなただけ目立ってほかの社員さんに何か困るようなこと言われませんでしたか?
よく頑張りましたね。」
あ・・・先生、やばいですよ。ちょっと、感無量な感じ。
「先生、社長にもほめられましたし、事務所の皆は会社の歴史がわかってよかったとも言ってくれます。
なにより、自分の仕事を見直せたこと、会社案内には書かれていない会社の説明に使えて、新規のお客様に渡しています。父の仏前にも報告しました。
あっ、泣きそうになってしまう。
同時に、ブログやSNSを始めたことで、外に発信することが多くなり、この報告書が非常に役に立ちました。
文章の書き方を先生にご指導いただいたので、まじめな文章も、少し面白い文章も私なりに書けるようになり、良いと褒められもします。
また、セミナー講師のようなオファーも来るようになって、この一年の成長はスゴイです。
ありがとうございました。」
先生は「そうですか、そうですか。よかったですね。」
そうなんです、5月にセミナー講師のオファーをいただいた翌日に、何もご存じない先生が、
「山川さん、今気づいたんだけど、あなたは話すとき、恥ずかしがっている。
発声練習しなさい。この中では、あなたが人前で話す機会が増えますよ。」とも。
もちろん、私を勇気づける、少しオーバーな表現だとは思ってもいます。
が、なんてナイスタイミング!
「アナウンサーの苦手な発音は、パ行とラ行。
まっすぐ前を見ておなかの底から、
「パラ・ピリ・プル・ペレ・ポロ」を一日10回くらい練習しなさい。」
それから、約1ヶ月、打ち上げの日。
何をおいても参加しなきゃ。
台湾展示会や商談、海外からのお客様、の日々。
1時間遅れで参加できました。
先生は、早朝からの文化ツアー講師をされ、バスで方々に、雨の中ハードスケジュールで、少し遅れて駆けつけてくださった。
温和な表情でまた、励ましてくださる。
後で、考えてみると、先生には何名の生徒さんがいたのだろう?また、現在も何人の生徒さんがいるのだろう。
山川という名前を覚えていただいていることすら、信じられないことだ。
とても光栄であり、これからもご教示いただけるよう、精一杯勉強したい。
そのあとは、来年のNHK大河ドラマ「平清盛」の話題。
大河ドラマが「観光」にいかに影響するかを、現在の伊勢商人たちが口ぐちに話している(笑)
父忠盛の生誕の地が津市という話になり、「素甕(すがめ)」(釉薬をぬっていない甕(器))が掘り出されてお米が入っていたであろう、という発言に対し、先生が
「いや、それは違いますよ。お米を食べる文化は江戸時代に始まっています。その時代にはお米を保存しているのは矛盾します。」と仰る。
そこに至るまでも、歴史上の人物の話や、土地柄の話など飛び交う飛び交う。
私は「???????」で、どうして皆詳しいのか?
ちなみに、
平忠盛
あ~、歴史は苦手な科目ではあったが、それにしても皆さんすごすぎる。
勉強しなくちゃ。と焦ってしまう。
民俗学に食はつきものとしても、先生は造詣が深い。ワインやお酒のセンスも勉強になる。
たぶん、食べることや飲むこともお好きなんであろう。
萬来鍋も気に入ってくださっている。
食品を手掛ける弊社としては、勉強ができる良きチャンスを与えてもらい感謝している。
「食材や調味料はその土地の文化や伝統をも尊重する」の一文を先生は私に与えてくださった。
なんて的確で奥深い言葉なんだろう。
私は「海外へのプレゼンで、この豆乳で何が作れるのか、シェフの想像力を期待しています。と締めくくる。」
と書いた。その後ろにこの一文をつけてくださった。
豆腐ではなく、「豆腐にもなる豆乳」これは萬来豆乳の一番の特徴であり、伝えたいところである。
開発商品にストーリーをつける。現在の形になるにいたった歴史を添える。
意味が付いてくる。商品に愛着が生まれる。こだわりとは違った、愛しさが芽生える。
一生懸命売りたい気持ちが増えてくる。
そうか、人類はこうやって、人生を重ね、歴史を作って来たのだ。
萬来鍋、萬来豆乳も、何十年か先に「古くからの商品なんだね」といわれる日が来ることを祈る。
そして、先生はふと、ものすご~いヒントを下さる。
もうひとつ、前回お会いしたときに、大きなヒントを下さった。
これは、今のところシークレットなプロジェクト。乞うご期待♪